ただ春の夜の夢のごとし

ジャニーズ、ハロプロファン経験者が好き勝手に語ります

第一次ジャニオタからハロオタへ②

年が明けて、携帯のニュースでモーニング娘。の新メンバー決定のニュースを見た。全くオーディションのことも把握してなければ、正月にコンサートをしていることも知らなかった。

このご時世にAKBではなく今のモー娘。を選ぶなんてどんな子たちだろうと思った。そしてなんとなくオーディション番組を見た。当時は美女学って番組だった。

 

懐かしい…!この感じ。誰が良いとか、この子は嫌だなあとか、自分達がまるで審査員のように候補者の子を見ていく感じ。私がダイヤの原石を見つけるかもしれないという高揚感。そして一生懸命な彼女達に感情移入してしまう。何でこんなに音程通りに歌えないのかと思ったり、ダンスを短時間で覚えるなんて私なら無理だと思ったり。

こういう番組の私の1番の面白さは、やはりお気に入りの「この子は受かる」という子を見つけて一緒に追ってしまうところだと思う。

私は5期のオーディションの時は、愛ちゃんがこの子すごく可愛い!絶対受かって欲しい!と思って応援していたし、6期の時は亀井ちゃんが可愛い!と見ていたが、この3人は全員良い。1人に絞るなんて難しい。これは誰が選ばれるか分からない。と見ていた。9期の時はこのダンス未経験者(香音ちゃん)可愛い。と応援して見ていた。10期の時はこのハロプロエッグの子(工藤)は受かるだろうなと思い、北海道のこの子(まーちゃん)は絶対歌が伸びると確信して見ていた。11期の時はマリアと山木さんに目を付けた。後々振り返ってみると本当に面白い。

 

そして9期オーディションの話に戻るのだが、その時の歌唱審査の課題曲が℃-uteの『会いたいロンリークリスマス』だった。

番組で何度も流れるので私も覚えてしまう。なんて音程とリズムの取り方が複雑なんだろうと思って聞いていた。魅力的な曲であった。すっかり会いたいロンリークリスマスがお気に入り曲となった。

 

9期オーデションを見る、そして付属的に℃-uteの存在を把握し、ハロプロが私の中で存在感を増してきた。調べるとハロプロテレビ東京の深夜に番組を持っていることが分かった。これがハロプロTIMEである。

私は試しに録画して見てみることにした。

ここでも価値観が揺らいだ。「えっ!みんなAKBなんかよりすごく可愛いじゃん!」と驚いたのである。その回は、℃-ute桃色スパークリングのMV撮影の裏側密着のような番組だった。

その後気になった私はYouTubeで『桃色スパークリング』を見て、どはまりした。本当にはまった。桃色スパークリングが自分の中であんなにヒットしなかったら、ハロプロにはまらず、むしろ避けて知らずに生きていったと思う。それぐらい私の中で大きな曲だ。℃‐uteで1番好きな曲を挙げるように言われたら桃色スパークリングを挙げるし、ハロプロの好きな曲でもトップレベルの曲だ。

 

 

 こうしてハロプロへの価値観が変わり、興味が増していった。

 

 

第一次ジャニオタからハロオタへ①

嵐に四六時中夢中だった私の心をよそ見させたのはハロプロだった。

 

これもきっかけは嵐だった。

ひみつの嵐ちゃんのマネキン5道重さゆみちゃんが出演し、松本さんのことを「顔が濃いから似合わない」などずたずたに言っていたのだ。当時の私は、随分言うな~ぐらいには思っていたのだが、その後ニュースで道重さゆみのブログ炎上の事件を知った。「炎上したか、自業自得ふふん。ジャニオタ敵に回すとこうなるよ!」と少々得意気だったところに私の当時の盲目さが伺える。私は、ためしに道重さゆみのブログを覗いてみることにした。

 

これが衝撃だった。

当時の道重さんはぶりっ子、ナルシスト、毒舌キャラの最盛期だったように思う。

ブログの内容は

 

この服かわいい

この服もこんなにかわいいさゆみに着てもらえて幸せだね(⋈◍◍)✧♡

 

といったようなぶっ飛び具合だったのである。炎上してしおらしく生活しているのかと思いきや、そんなことなかったように平然とブログをやっているのである。内容にも驚いたが次に驚いたのがコメント欄である。私はさもブスとか謝れ、ふざけんなというようなコメントが溢れているのかと思いきや

 

さゆみんおはよ~

さゆみんかわいい

うんうん。この服もこんなにかわいいさゆみんに着てもらえて本当に幸せものだよ(*ω)

 

といったようなコメントが多数あった。嫌われてコメントにアンチしかいないと思っていたのに、こんなコメントをする人達がいるなんて!と驚いたのを覚えている。同時にジャニオタから炎上させられても動じない道重さゆみとそのファンに驚愕し、道重さゆみは本当に頭がおかしい人なんだと思ったww(すみません)

その後、たまたまお得意のYouTubeを見ている際、YouTubeの関連動画にモーニング娘。があった。「へぇ~。モーニング娘。YouTubeにMVの公式動画載せてるんだ~」と思った私はこの前の炎上事件を思い出し、冷やかしのつもりで”なんちゃって恋愛”をクリックした。

 

 

これが私の価値観をまるっきり変えた。

噂に「今のモー娘。はAKBに負けてるから、それに対抗してダンスとか凄いらしいよ。」とは耳にしていたのだが、ここまでとは思わなかった。

高橋愛ちゃんの歌の上手さと可愛さにびびった。そして楽曲とダンスのかっこよさ。アイドルとは思えない振付…。とにかく目を見張る程の衝撃だった。凄い!と。

世間は

モーニング娘。って今何人?誰がいるの?道重しか知らない。モー娘。は落ちぶれた。の声が圧倒的多数な世の中だった。その当時AKBグループ最盛期でアンチAKBだった私は、パフォーマンスのクオリティに感嘆した。

今更言うのだが、私はモーニング娘。どストライク世代だ。将来の夢はモーニング娘。になりたいと密かに思っていた者で、モーニング娘。のオーディションは中学生から応募できるからそれまでに痩せないと!と思い実際痩せなかった者だ。ブロマイドも沢山買ったし、今までの人生でお金を出してカレンダーを買ったのはモーニング娘。だけである。

それからモーニング娘。の楽曲をYouTubeで見まくったが、本格的には手を出さなかった。亀井ちゃん、リンリン、ジュンジュンの卒コンが横浜アリーナであることも知ったが他人行儀でいた。これはハロオタをやっていて1番後悔していることだ。新規が伝説のプラチナ期に実際に立ち会えるチャンスをみすみすどぶに捨てたのだ。

 

嵐は相変わらず好きだったが、嵐しか知らない私にモーニング娘。という存在が頭の片隅に存在するようになった。

 

第一次ジャニオタ期 ~嵐~

私が本格的にジャニーズにはまったのは2009年で、きっかけは嵐であった。

その頃は嵐が結成10周年の年でとにかく勢いがすごかった。それ以前から嵐をはじめジャニーズは好きだった。学校へ行こう!でイノッチが面白くて大好きで、プロフィール帳の好きなタレント欄にイノッチと書いていたし、ドラマ・1リットルの涙を見て麻生くんに惚れ、錦戸くんと結婚したい中学2年生の一時期を過ごしたりもした。高校受験終わりに、嵐のシングル・Love so sweetをお疲れご褒美として買いに行ったあたりは、嵐ファンになる前兆があったのかもしれない。

月日を経て、嵐は生活の中心になって考える程どっぷりとはまってしまった。

その頃覚えたYouTubeを夢中になって見ていた。多分YouTubeがなかったら私はもっとまともな人生を送れていたと思う。高校時代、しかも3年生に動画サイトにはまるというのは本当に危険である。

 

大学進学に伴い上京した私は、自由を手に入れ、首都に住むという環境の中、嵐ファン熱を加速させていく。ファンクラブに入会し、テレビもネットも見放題。生活の中心が嵐であった。これまで芸能人を好きになることは多々あったのだが、大体1クールラブで終わっていたと思う。そんなこともあり、芸能人にこんなに夢中になるなんて人生で初めてで、「この気持ちがなくなることってない(>_<)!」って本気で思っていた(笑)

東京と大学に馴染めず孤独感に押し潰され泣いていた私の支えは嵐だった。ただの一般人が嵐という存在に依存していたのである。嵐を中心に世界は回る状態であった。

嵐きっかけにジャニーズという組織を知っていくとどんどん事務所担のように知識が増えていく。嵐だけのファンをやっていれば良いものを、新しい知識が増えていくのが楽しくて好きにはならないけれど、一般人より物知りなジャニーズ好きになっていった。 

 

そして私は大変たちの悪い嵐ファンだった。「嵐至上最高主義」みたいなところがあり、とにかく嵐が1番だと思っていた。だから、アイドル誌で嵐の名前が出てこないか興味のないジュニアや他グループの記事も流し読みし、嵐の曲が少クラで歌われないか録画して確認するようになった。

そして、ブサイクだ、全然かっこよくない!と冷やかしと落胆の入り混じった気持ちでアイドル誌やジュニアを見ていた。本当に最低な女である。

 

そんな私は何よりも”5人の嵐”が好きだった。誰きっかけでファンになったとか、○○担です、ではなく選べない!みんな大好きで尊敬している状態だったのだ。だからジャニショに行ってもソロ写真は全く買わず、5ショット写真しか買わなかったし、物販では全員分のうちわを買った。

しかし、5人の嵐が好きだった私にある心の変化が訪れる。

ひみつの嵐ちゃんが2人体制の番組に変わってしまったことだった。最初は武井咲ちゃんをゲストで呼んで、新コーナーが始まったのかな?と呑気に構えていたが、ネットの様子を探るとどうもおかしい…。私は結局その回を避けて見なかった。

いつか戻るだろうと思っていてもその気配はなさそうで、HDDには未視聴のひみつ嵐ちゃんが溜まっていった。

 

その頃から嵐は好きだけど、自分の中心ではなくなった感があった。

ひみつの嵐ちゃんが全てではないけれど、徐々に落ち着いていく自分がいた。自分でも心の熱量の変化に戸惑っていた。私は自分が好きな人・ものを否定されたり、批判されたりするのが本当にだめだっだし、まるでメンバーの心になったつもりでお仕事も見ていた。だから、知り合いから嵐を馬鹿にされたら冗談抜きで腹が立ったし、ニノの熱愛が報道された時なんてショックで一睡もできなかった。嵐が初めて紅白の司会に抜擢された時は、何故NHKは嵐にこんなに重いものを背負わせるんだと憤りを覚えたし、当日は心配で心配で仕方がなかった。あんた何様ぐらいには依存していたのである。

そんな私が嵐及びジャニーズから興味が逸れたのは、新たに夢中になって知識を得たいというものが見つかり、本格的にそちらに心がもっていかれたからである。

 

それが「ハロプロ」であった。