ただ春の夜の夢のごとし

ジャニーズ、ハロプロファン経験者が好き勝手に語ります

第一次ジャニオタ期 ~嵐~

私が本格的にジャニーズにはまったのは2009年で、きっかけは嵐であった。

その頃は嵐が結成10周年の年でとにかく勢いがすごかった。それ以前から嵐をはじめジャニーズは好きだった。学校へ行こう!でイノッチが面白くて大好きで、プロフィール帳の好きなタレント欄にイノッチと書いていたし、ドラマ・1リットルの涙を見て麻生くんに惚れ、錦戸くんと結婚したい中学2年生の一時期を過ごしたりもした。高校受験終わりに、嵐のシングル・Love so sweetをお疲れご褒美として買いに行ったあたりは、嵐ファンになる前兆があったのかもしれない。

月日を経て、嵐は生活の中心になって考える程どっぷりとはまってしまった。

その頃覚えたYouTubeを夢中になって見ていた。多分YouTubeがなかったら私はもっとまともな人生を送れていたと思う。高校時代、しかも3年生に動画サイトにはまるというのは本当に危険である。

 

大学進学に伴い上京した私は、自由を手に入れ、首都に住むという環境の中、嵐ファン熱を加速させていく。ファンクラブに入会し、テレビもネットも見放題。生活の中心が嵐であった。これまで芸能人を好きになることは多々あったのだが、大体1クールラブで終わっていたと思う。そんなこともあり、芸能人にこんなに夢中になるなんて人生で初めてで、「この気持ちがなくなることってない(>_<)!」って本気で思っていた(笑)

東京と大学に馴染めず孤独感に押し潰され泣いていた私の支えは嵐だった。ただの一般人が嵐という存在に依存していたのである。嵐を中心に世界は回る状態であった。

嵐きっかけにジャニーズという組織を知っていくとどんどん事務所担のように知識が増えていく。嵐だけのファンをやっていれば良いものを、新しい知識が増えていくのが楽しくて好きにはならないけれど、一般人より物知りなジャニーズ好きになっていった。 

 

そして私は大変たちの悪い嵐ファンだった。「嵐至上最高主義」みたいなところがあり、とにかく嵐が1番だと思っていた。だから、アイドル誌で嵐の名前が出てこないか興味のないジュニアや他グループの記事も流し読みし、嵐の曲が少クラで歌われないか録画して確認するようになった。

そして、ブサイクだ、全然かっこよくない!と冷やかしと落胆の入り混じった気持ちでアイドル誌やジュニアを見ていた。本当に最低な女である。

 

そんな私は何よりも”5人の嵐”が好きだった。誰きっかけでファンになったとか、○○担です、ではなく選べない!みんな大好きで尊敬している状態だったのだ。だからジャニショに行ってもソロ写真は全く買わず、5ショット写真しか買わなかったし、物販では全員分のうちわを買った。

しかし、5人の嵐が好きだった私にある心の変化が訪れる。

ひみつの嵐ちゃんが2人体制の番組に変わってしまったことだった。最初は武井咲ちゃんをゲストで呼んで、新コーナーが始まったのかな?と呑気に構えていたが、ネットの様子を探るとどうもおかしい…。私は結局その回を避けて見なかった。

いつか戻るだろうと思っていてもその気配はなさそうで、HDDには未視聴のひみつ嵐ちゃんが溜まっていった。

 

その頃から嵐は好きだけど、自分の中心ではなくなった感があった。

ひみつの嵐ちゃんが全てではないけれど、徐々に落ち着いていく自分がいた。自分でも心の熱量の変化に戸惑っていた。私は自分が好きな人・ものを否定されたり、批判されたりするのが本当にだめだっだし、まるでメンバーの心になったつもりでお仕事も見ていた。だから、知り合いから嵐を馬鹿にされたら冗談抜きで腹が立ったし、ニノの熱愛が報道された時なんてショックで一睡もできなかった。嵐が初めて紅白の司会に抜擢された時は、何故NHKは嵐にこんなに重いものを背負わせるんだと憤りを覚えたし、当日は心配で心配で仕方がなかった。あんた何様ぐらいには依存していたのである。

そんな私が嵐及びジャニーズから興味が逸れたのは、新たに夢中になって知識を得たいというものが見つかり、本格的にそちらに心がもっていかれたからである。

 

それが「ハロプロ」であった。